Home > 3月, 2011

2011.03.25

最近の在留特別許可(4)

最近の在留特別許可案件に関して、変わった事情のある案件をいくつか掲記してみます。
◇ 配偶者に殺人未遂の前科 ◇
(序) 政権が交代したせいかどうか判然とはしませんが、およそ2009年後半以降の自己出頭案件について、ほとんど1年余の期間、手続が止まったかのようでした。そんな中の1件です。
(1) 本人の履歴など 
 20歳代のタイ国籍の女性です。自己名義のパスポートを使用し、2007年1月に短期滞在で上陸、そのまま不法残留しました。1回目の違反です。
 2008年1月に日本人男性と婚姻、同年7月に離婚していますが、この婚姻によって入管へ出頭することはしなかったそうです。
(2) 当職への依頼と出頭の遅延 
 08年10月、別の日本人男性である現夫と知り合い、交際同居し、09年6月に日本式婚姻が成立しました。
 両親同居、持ち家のうえ、現夫との間の子を妊娠したがそれが子宮外妊娠で卵管破裂、片方の卵巣を失うという悲劇もありました。
 再婚という点以外は、条件的に良かったと思われますが、現夫が仕事を忙しがり、大使館(婚姻要件具備証明書の取得)や入管へ出頭する時期が遅れ遅れだったことが気になる案件でした。
 およそこの当時以前は、不法滞在者であっても日本人の配偶者として外国人登録をしてあれば、入管が摘発に来ることはないと思われていた時期でもありました。出頭が遅れるのは良くありません。しかし、当職としては当事者の意向を無視できる立場にはありません。
 そうしたところ、09年8月下旬に入管の摘発担当(調査第1部門)が地元警察官を連れて、自宅に摘発に押しかけてきました。たまたまそのとき、本人が不在だったそうで、摘発を免れました。電話連絡は取れていたそうですが、「逃げ切ってしまった」そうです。
 仕事を理由に出頭を引き延ばしていた日本人配偶者でしたが、さすがに自ら出頭しないと問題が大きくなると感じたのでしょう。入管が摘発に来た翌日には、自己出頭することになりました。
(3) 自己出頭とその後の進行
① 自己出頭は、09年8月下旬でした。このころからの傾向で、出頭日におけるインタビューは軽めでした。
② その後、外国人本人が2度目の妊娠をしました。無保険の状態で出産を控え、多額の費用が掛かります。本人、家族から、何度かに亘って入管に進行状況の問い合わせを行いましたが、時間が掛かるとのみの回答だったようです。(2010年に入り、実務家たちも、08年や09年前半までとは、同種事案の取扱いに大きな違いが生じたことに気づかされたと言えます。)
 2010年9月、夫婦間の長男が出生しました。
③ 同年11月、入管が、予告なく自宅調査を行いました。夫の両親と外国人本人が在宅しており、写真撮影などが行われました。この手続は、厳しい審査ながらも許可見込みのある案件で行われる調査であると認識しています。
最近、電話調査は頻繁にあっても自宅調査がある案件は多くないと言えます。
④ 2011年1月下旬、午前9時半の呼出しがありました。長男の出生届記載事項証明書を提出するよう指示されました。
なお、後刻になってから聞いたのですが、夫婦揃って出頭するよう求められていたそうです。内容は、夫婦揃ってのロングインタビューでした。午後5時過ぎまで掛かる日程でした。この手続も、厳しい審査をすべき事案であると担当官(入国警備官)が考えたものと思います。実子もあるのになぜだろうか?と思いましたが、この点は、後に感想を記します。
⑤ 同年2月上旬、入管から電話があり、日本人夫の前科を問われました。夫は入管に対して、『殺人未遂で2年間服役していた』と正直に述べたそうです。この前科は、刑法34条の2の規定により、まだ抹消されていません。配偶者の前歴は大きな要素になることもありますので、私からも業務開始時点で聞いたことがあります。そのときの返答は、「免許証もゴールドだし前科なし」とのことでした。この時点に至り、重大なウソを言われていたことに気づかされることになりました。当方としては、当事者による重大な契約違反と認識せざるを得ず、果たしてどの程度の影響があるのか、先読みの難しい状況になりました。
⑥ 入管から「2月××日午前10時」に外国人本人のみ出頭するよう電話がありました。当事者は、何度も入管に日付を確認したと言いますが、カレンダーを見ると同日は土曜日です。出頭日時を再度確認してもらい、○○日(火曜日)の間違いであることが判明しました。入管の事務がかなり杜撰な証拠です。当事者側も入管の連絡が正確かどうか、細心の注意を払わなければなりません。再確認した○○日(火曜日)に仮放免許可となりました。仮放免許可申請はしていませんし、保証金もありません。仮放免による最初の「出頭確認日」は、従前、2ヶ月後を指定されるのが通例でしたが、本件に関しては、5週間少々後の日付指定でした。
(5) 在留特別許可
 入管から電話があり、上記の第1回目の出頭確認日より前の3月中旬某日午前9時半に出頭するよう求められました。ところが、今般の大震災のために、交通の便が非常に悪い状況になりました。呼出日の前日、入管から電話があり、「どうしますか?来られますか」と聞かれました。結局、当事者本人が無理と判断し、延期を求めたそうです。その後、呼出日の1週間後の某日午前9時半に審判部門への出頭を求められました。当日の持参書類として、戸籍謄本、住民票、登録原票記載事項証明書、仮放免許可書、外国人登録証明書、パスポートを指示されました。
 同日、午前中に違反判定、口頭審理、異議申立ての手続があり、午後2時から「在留特別許可」の裁決がありました。
(6) 若干の感想
上記のように
1点目 もう少し俊敏に大使館や入管へ出向く時間を取ってくれれば、2ヶ月は早く出頭できたものと考えられ、09年前半のように数ヶ月単位での最終決裁も可能だったのではなかったかと思われる点が残念でした。
2点目 日本人配偶者の前科が大きな影響を持つことも想定されるのですが、結果から見ると、両親同居、持ち家、実子の存在とプラス面が多く、前科のマイナス面を払拭したかのようでした。
3点目 入管が摘発に来たとき、逃げてしまったこと。これは、警備部門(摘発に当たった調査第一部門だけではなく、在宅調査を行った調査第三部門を含む入国警備官)の印象をだいぶ悪くしたものと思います。
前にも経験があるのですが、警備部門は、自分たちの努力を当事者が水の泡にするのを大変嫌います。「捕まえに行ったのに逃げた。自分たちの尽力を無駄にした。」というわけです。この部署は、こういった感情的で恨みじみた反応をすることがしばしばあるので、要注意です。
 そして、仮放免が許可され、事案が警備部門(入国警備官)から違反審査・審判部門(入国審査官)に引き継がれると、第1回目の出頭確認日より前に、在留特別許可を降ろす事実上の決定があったことが伺われます。総合的に見て入国審査官の心証は良かったということだろうと想像しています。

最近の在留特別許可(3)

◇ 覚せい剤取締法違反 ◇
(1) 当職取扱い以前の履歴
 20歳代のタイ国籍女性です。
 在留資格認定証明書の交付を受けて、2006年6月に、日本人の配偶者等(1年)で上陸許可を受けました。その後、更新を重ね、2008年6月から在留期間3年を付与され、在留期限は2011年6月でした。
 在留期間3年を得た後、日本人夫と別居し、スナック勤めを始めました。
 動機は、本国に残してきた実子への送金額を増やしたい等とのことでした。
 スナック勤めから覚せい剤を覚え、2009年5月、覚せい剤取締法違反で懲役1年6月、執行猶予3年の判決を受けました。判決確定により入管法24条4号チに規定する退去強制事由に該当することになります。ですが、この時点で、自動的に在留資格を喪失するわけではありません。判決とは別途に退去強制手続が行われます。
執行猶予付き判決を受けたので、身柄は釈放されました(この時点で不法残留になっていると法廷から入管へ収容されます)。本人は、日本人夫の家に戻って生活を再開しました。
(2) 当職への依頼
 この段階で、当職に、在留特別許可の依頼がありました。
 事案の概要を把握するために、刑事事件の記録(司法警察員面前調書や起訴状、判決謄本など)を精査するところから調査に入りました。
そして、「逮捕前に別居に至っていた。夫と離婚して別の男性と結婚したい」旨の書かれた調書が、入管にも回っている前提で書類を作成することにしました。
刑事事件は大きな問題ですが、入管としては婚姻関係の破綻の程度が判断基準になるので、別居等はかなりの難点でした。
(3) 入管への出頭
 上記のとおり、在留資格・在留期間は残ったままの状態で、2009年6月中旬に入管へ出頭しました。
 この場合、自ら出頭しないでいると、どうなったのでしょうか?
 ・退去強制手続開始のため、入管から呼び出されるか。
 ・次の更新時期に更新不許可、退去強制手続になるか。
 どの手順でやっても、退去強制手続になるわけですが、結果から見ると、速やかに自分から出頭したことが功を奏したものと思われます。
(4) 事案の進行
① 2010年8月、自宅調査、写真撮影等が行われました。入管がいきなり自宅に乗り込んできて、パチパチ写真を撮ってゆくパターンは、危ないながらも許可見込みのある案件であると考えられるのは、上記にも記したとおりです。
② 同月下旬に入管から呼出しがあり、ロングのインタビュー(ほぼ丸1日)が行われました。担当したのは入国警備官と思われます。これも、危ないけれど許可見込みがあるときに、行われると考えています。
③ その約2ヵ月後の10月下旬に入管から呼出しがあり、保証金30万円を積んだうえ、仮放免許可を申請”させられ”ました。そういう当局の指示があったのです。
 (同日、フィリピン人永住者で覚せい剤事犯の人も同じ措置を取られたそうです。)
 仮放免許可を与えられ、第1回目の出頭確認日として、2ヵ月後の12月下旬の日付を指定されました。
④ 12月上旬に、ほぼ半日の日程で「入国審査官による違反審査」というインタビューがありました。
⑤ 2011年1月下旬、特別審理官による口頭審理が行われました。
(5) 在留特別許可
 2011年2月上旬の出頭確認日に、在留特別許可の裁決がありました。
(6) 若干の感想
 在留特別許可が認められるか、退去強制処分になるか。本件ほどその落差の激しい事案はありません。
退去強制処分になった場合、
① 入管法第5条第1項5号により、薬物系犯罪による前科で長期上陸拒否事由該当
② 入管法第5条第1項4号により、1年以上の懲役を受けた者として長期上陸拒否事由該当
③ 入管法第5条第1項9号ロにより、5年間の上陸拒否事由該当
 以上3つの上陸拒否事由に該当することになり、なお、夫婦間に実子もないので、事実上、日本に再来日することは、ほとんど生涯不可能であったと思われます。
 まさに生死を分けるに等しい在留特別許可であったと言えます。
(7) 再入国許可について
 類似情報を収集した結果も踏まえると、執行猶予期間中は、再入国許可は認められていない模様です。
 一般論として、長期上陸拒否事由該当の場合、生涯において上陸拒否者ですが、執行猶予期間が満了すると上陸特別許可が出ることがあります。
 それと同じ理屈で、再入国も上陸の形態の1つなので、執行猶予期間中は「上陸」に当たる再入国許可は出せないということのようです。ただし、人道上やむを得ない事由があるときは、執行猶予期間中でも再入国許可を認めることもあるようです。

最近の在留特別許可(2)

◇ 2006年に3回の違反 ◇
 タイ国籍30歳代の女性、初婚です。
(1) 当職取扱い以前の履歴
① 不法滞在中の2006年に摘発収容され、退去強制処分を受けました(上陸拒否5年に該当)。
② 同年中に、他人名義のパスポートを使用して上陸申請したところ、パスポートが真正ではないことが判明したため、不法入国により退去強制処分を受けました(上陸拒否10年に該当)。
③ 同年中に、再び他人名義のパスポートを使用して上陸申請したところ、今回は、パスポートの不正が判明せず、上陸できてしまいました。
(2) 当職への依頼
 日本人男性と交際、同居に至り、当職に婚姻段階からの依頼がありました。
婚姻の方式は、日本式を選択せざるを得ず(領事婚は日本の通則法により不可、タイに帰国できないとすればタイ式婚姻も不可です)、なお、不法入国ですから在日タイ王国大使館は婚姻要件具備証明書を発給しません。
よって、独身証明書や住居登録などを添付して、夫の本籍地の市役所へ日本式の婚姻届を提出しました。
 本件では、とりあえず夫婦別姓とし、現地代理人により、在タイ日本大使館経由でタイ国婚姻証明書(家族状態登録簿=タビアン・タナヘン・クロップクロア)を作成しました。
(3) 入管への出頭
 入管への出頭は2007年12月中旬でした。他の事案と同様の書類のほか、違反歴一覧、使用した他人名義パスポートに関する情報、夫名義の経緯書などを添付しましたが、親族からの嘆願書は提出できませんでした。
 多少は危惧しましたが、その場で、収容されるようなことはありませんでした。
(4) 事案の進行
 出頭時期は2007年12月でしたから、当時の相場では、およそ4ヶ月程度で仮放免許可ないし在留特別許可が与えられる時代でした。
 しかし、この程度に悪質ですと、審査に時間が掛かって当然と思われました。
① 08年3月に、入管による事前連絡なしの自宅調査があり、写真撮影その他が行われました。いきなり入管が乗り込んできて写真撮影を含む自宅調査をするのは、かなり厳しい審査をしながらも、やがては許可される方向の案件に多い調査方法だと言えます。
② 同年6月に入管(調査第三部門)への出頭を求められ、夫婦双方に対し、丸1日掛かりのロングインタビューがありました。これも審査内容は厳しいが許可される方向の案件の場合に行われる調査方法だと言えます。
③ 同年8月、仮放免許可が与えられました。仮放免を申請したわけではなくまた保証金も要求されていません。
④ 同年9月以降、3月に1回の割合で、仮放免による出頭確認が繰り返されました。
⑤ 2010年8月には、本人に対し、審判部門によるインタビューが半日を掛けて行われました。
(5) 在留特別許可
 2010年12月、仮放免許可書、パスポート、外国人登録証明書、戸籍謄本、住民票を持参し、午前9時30分に出頭するよう指示されました。
 この日に、在留特別許可が降りました。
 初出頭から丸3年を要しましたが、事案が悪質であったためにこの程度の審査期間はやむを得なかったように感じました。

最近の在留特別許可(1)

◇ 1つの家族に2回目の摘発 ◇ 
これは、1つの家族に2回の在留特別許可があった事案です。
タイ国籍女性Bには、3人の夫がいました。
夫1 タイ国籍で日本に不法滞在していました。下記CとDの実父で、摘発されて退去強制処分を受けました。
夫2 日本国籍で、下記Eの実父です。
夫3 現在の夫でタイ国籍Aです。

このコラムは、Aの在留特別許可に関するレポートですが、その前に、B・C・Dに関する在留特別許可がありました。
Bは夫1との間にC・Dを儲けましたが、夫1・B・C・Dはいずれも不法滞在者でした。夫1が退去強制となったとき、B・C・Dは摘発を免れたようです。
その後、Bが夫2と婚姻し、在留特別許可を求めて出頭しました。
その審査中に、Bと夫2の間の実子E(日本国籍)が出生しました。
ところが、入管の決裁を待たずに、夫2が死去しました。
その後、B・C・Dに、定住者1年の在留特別許可が下りています。
この場合、Bは「日本人の実子を扶養する外国人親」に対して定住者の在留資格を付与するという平成8年7月30日通達によって、Eを扶養する者として、在留特別許可にて定住者の在留資格を与えられたものと思われます。
C・Dは、定住者Bの扶養を受けて生活する未成年で未婚の実子という定住者告示に該当することになります。

夫2の死後、09年8月に、Bと夫3(A)の婚姻が成立しました。
Aは1993年に短期滞在で上陸した不法残留者でした。在京タイ王国大使館の運用で、パスポートも婚姻要件具備証明書も発給される立場ですので、その両方が用意できました。外国人登録証明書も所持していました。
不法滞在者Aは、定住者1年であるBの夫となったわけです。夫婦間の実子はありません。この条件で在留特別許可が下りる可能性があるのかどうか、疑問視する人も多いでしょうが、当職には経験からして可能性は十分あると思っていました。
婚姻が成立したので、早速にも在留特別許可を求めて出頭したいところでした。
しかし、Aは日本語が極度に下手なので、出頭をためらっていました。長期不法残留者の中には、ほとんど日本語を使わず、同国籍者同士の会話で仕事も私生活も成り立つ人たちがいるものなのです。
そうこうするうち、2010年2月に、外国人登録してある自宅で摘発・収容されました。入国警備官は、ここにAが居住していることを知っていて摘発に来たのは間違いないところです。
収容中、妻であるBとBの末子のEで何回か面会に行き、適宜、書面を作成して提出しました。また、Bに対する5時間掛かりのインタビューが調査第1部門で行われました。
収容後、4週間経過した同年3月に、職権仮放免がなされました。
およそ2008年までの収容案件ならば、収容後4週間から8週間(要するに法定の60日以内)で、在留特別許可を与えられるか、退去強制令書を発布されるか、どちらかだったものが、2010年には速やかに在留特別許可を付与しない方針になったためか、仮放免に留めたものと思われます。
その後、5月、8月、11月に出頭確認に出向いています。
実は、11月初旬の出頭確認日の直前に特別審理官からB宛てに何度も電話があったそうなのですが、就労中で電話に出られなかったと言います。電話に出ていれば、11月初旬の出頭確認の日かその前に、在留特別許可を付与された可能性がありました。
そして、11月初旬の出頭確認を終えると、審判部門の簡単なインタビューがあり、翌週の口頭審理の日時と持参書類を指定され、審判部門への出頭を求められました。
当日、審判部門へ必要書類を提出し、同部門の待合室で待つよう指示されました。
なお、当職は5月、8月、11月の出頭確認の席、並びに5月、11月の審判部門のインタビューにも同席を許されています。A・Bのどちらも、入管の指示内容を理解できず、また、当事者の発言内容が正確に入管側に伝わっていないことがわかり、同席しなければ審査は無理だったと言えます(例1として、入管の言う一時旅行許可の意味が理解できない。ディズニーランドへ行く?それは何ですか?という当事者の反応。例2として、当事者がC・Dの実父が帰国したと発言したはずなのに、入管はC・Dが帰国したと聞き取ったのでそれを訂正した場面など)。A・Bだけでは、口頭審理の日に持参する書類さえ理解できず、当職が同席することは、当事者のみならず入管側にも効果が絶大だったと言えます。外国語通訳というよりも、外国人の話す日本語のヒヤリング、平易な日本語に言い換えるテクニックということです。
口頭審理は、いわば集団処理ですので、同行したものの同席していませんでした。そうしたところ、特別審理官が「この人の関係者いませんか?意味がわかったでしょうか?」というのです。私が手を挙げ、「担当している行政書士です」と告げると、特別審理官も安心したようで、「本人がわかっているかどうか疑問ですが、次は午後2時からです。それまでにここで待たせるようお願いします。」という指示でした。
予定どおり、午後2時からパスポートの返却を受け、在留特別許可の証印を確認して帰路に着きました。

Aは、2月の収容から11月の在留特別許可まで9ヶ月と、現時点での在宅事件に比較して短期間の処理であったと言えます。しかし、上記のように収容案件は従前60日以内に処理される例が多かったことから、それよりはずっと長く慎重な審査であったと言えます。
現時点での在宅事件は、出頭後1年6ヶ月や1年9ヶ月を要するのはごく普通で、数ヶ月単位で処理されるのは、異例のようです。
入管の処理を待つのは辛いでしょう。待ちきれずに婚姻破綻する例も散見されます。現時点での在留特別許可案件は我慢が肝要です。
そして、収容・在宅どちらの形でも、自宅調査を行うこともあるようです。
(旧サイトの記載を転載)